2019年5月30日木曜日

ひこひこ



細かく、かすかに、震えるように動く様子であることをいう、副詞。


江戸時代の俳諧(玉海集・1656年)に用例があるようで、青空文庫を検索してみると、明治期にも小説などで使われていたようだけど、近頃は見かけない。


似たようなことばがあるから、出番がないのだろうか。


「ぴくぴく」
「ひくひく」
「ひこひこ」
「ぴこぴこ」


こうして並べてみると、使い分けがとても難しい気がしてくる。

でも、ちょっと使ってみたくなる。


尾崎紅葉が書いた、「桃太郎」の続編である「鬼桃太郎」というお話に、「ひこひこ」が登場する。





時の王鬼島中に触れを下し、 
誰にてもあれ日本を征伐し、 
桃太郎奴が若衆首と、 
分捕られたる珍宝を携え還らんものは、 
此島の王となすべしとありければ、 
血気に逸る若鬼輩、 
ひこひこと額の角を蠢かし、 
我功名せんと 
想わざるはなけれども、 
いずれも桃太郎が技(てなみ)に懲り、 
我はと名乗出づるものも 
あらざりけり、


尾崎紅葉 「鬼桃太郎」 青空文庫



圧倒的に強い桃太郎に復讐したくてもできない若鬼たちが、おでこの角を「ひこひこ」させている姿は、想像すると、なんだかおかしい。


このあと、鬼ヶ島の川に不気味な桃が流れ着き、その中から、桁外れに強い「鬼桃太郎」が誕生する。「鬼桃太郎」は、鬼社会の期待を一身に背負って、人間の桃太郎討伐に出かけるけれども……


ラストは、これ以上ないというほど、がっかりな結果となる。


尾崎紅葉は、代表作「金色夜叉」を完結させることなく亡くなってしまったため、小栗風葉が続編を書いている。
そんな紅葉が、昔話の続編を書いているというのが、なんだか面白い。


蛇足だが、「金色夜叉」は、本編も続編も、心理描写、情景描写ともに、過剰なほど言葉をつくした雅俗折喪体で、読み進めるうちに、まるで映像世界に取り込まれたかのように感じられてくる。とくに続編、愛憎の極限に追い詰められた貫一が、お宮の幻影を見る場面など、ほとんどSF映画のようである。

あの作品の魅力を損なわずに、現代語にリライトする作家さんが、出てこないものだろうか。

2019年5月29日水曜日

はらさる【貼らさる】


「蟹工船」を読んでいるときに遭遇した用例。





「糞壺」の梯子はしごを下りると、すぐ突き当りに、誤字沢山で、


雑夫、宮口を発見せるものには、バット二つ、手拭一本を、賞与としてくれるべし。

                     浅川監督。


と、書いた紙が、糊代りに使った飯粒のボコボコを見せて、貼(は)らさってあった


  小林多喜二 「蟹工船」 青空文庫






はじめて見つけたときは、「あれ、これ、方言だよね…」と、ちょっと考え込んだ。


小林多喜二は秋田県で生まれ、北海道の小樽で育っている。

青空文庫で検索したところ、同じ小林多喜二の「不在地主」という作品にも「貼らさっていた」の例が見える。


こういう用例に出会うと、ちょっとした宝物発見のうれしさがある。


この助動詞「さる」、他の作家の作品では、いまのところ未発見。津軽などを舞台にした小説の会話文なら、ありそうな気がする。






2019年5月27日月曜日

しちりけっぱい【七里けっぱい】



「七里結界(しちりけっかい)」の音が変化した言葉だそうだ。

「結界」は、密教系のバリア。それを七里(約3.927キロの7倍)四方に張りたいほど、何かを毛嫌いして寄せ付けたくない心情をいう言葉であるとのこと。



句や歌を彫る事は七里ケッパイいやだ。

正岡子規 「墓」 青空文庫



イヤさがものすごくよく伝わってくる。







2019年5月22日水曜日

じさつぼうしほう【自殺防止法】




どうせ死ぬんなら、盛大に死にたい。まだ二十歳くらいで、大した悪事もやっていないんだから、あと三、四十年社会にお世話になる代わりに、一どきに社会に迷惑をかけてやりたい。高級旅館に泊まって、ダイナマイト自殺でもやらかして折角建てたばかりの新館をわれわれもろとも爆破してやるのもわるくない。 
 ……こう考えるうちに、二人の考え方はだんだん他人のほうへ社会のほうへ向いてくる。ただの心中や自殺が、だんだん社会への呼びかけに変ってくる。つまり悪事に近くなって来るのです。 
「僕たちが愛読してやっているあの小説家のツラを、死ぬ前に一度見に行ってやろう」
「死ぬ前に店の金をごまかして、百万がとこ豪勢に使ってやろう」
「死ぬ前にあのにくい果物屋に火をつけてやろう」 
「死ぬときには道づれに、五、六人殺してから死んでやろう」
 こうして自分の死を最高の自己弁護の楯に使って、他人に迷惑をできるだけかけて死んでやれと思い出すと、自殺というものはもともと一種の自己目的の筈ですから、自殺の意義がだんだんうすれて来て、それが途方もない大きな対社会的行為になって来て、考えるだけでオックウになってしまう。 
 (中略) 
 だから、どうせ死ぬことを考えるなら威勢のいい死に方を考えなさい。できるだけ人に迷惑をかけて派手にやるつもりになりなさい。これが私の自殺防止法であります。

    三島由紀夫 「不道徳教育講座」 角川文庫





この上なく威勢のいい自殺を決行してしまったご本人が語る「私の自殺防止法」である。

この人の自殺を止めるに、何が必要だったのかは、私には分からない。

道徳とか不道徳とかいう領域のことではない、まして「自己目的」でも、「対社会的行為」に向かう自分を妄想することで得られる自己の肥大感でもない、もっと別次元のものが、足りてなかったのだろうとは想像する。